ezuの作品は、つくり手の手を離れたところで終わるものではありません。
布をつくる人がいて、染める人がいて、縫う人がいて、届ける人がいて、そして身につける人がいる。その流れの中で、作品は少しずつ、その人だけのものになっていきます。
今回お話を伺ったのは、d47 MUSEUMストアマネージャーの上久保さんです。
上久保さんは、ezuの作品を長く見つめ、店頭でお客さまへ手渡してきた方。けれど、ただ「販売する人」と呼ぶだけでは、少し足りない気がします。
作り手の思いを受け取り、目の前のお客さまの気配を感じ、その人にとっての一着へとつないでいく。その姿は、ezuの外側にいる人というより、むしろezuの作品が誰かのもとへ届くまでを一緒につくっている人でした。
今回は、そんな上久保さんに、ezuとの出会いから、作品を届ける時に大切にしていることまで、ゆっくりとお話を伺いました。
取材協力:d47 MUSEUM(上久保さん)
ものが生まれる前にあるものを見たい
上久保さんは、学生の頃から絵を描いたり、ものをつくったりすることが、ごく自然にある人でした。高校では美術を学び、その後はニューヨークへの留学も経験。帰国後は芸術学校で、絵画や版画だけでなく、思想や哲学にも触れながら過ごしてきたといいます。
その後は、空間づくりの会社へ。美術館や展示、立体物など、さまざまな場に関わるようになりました。
ただ、上久保さんの関心は、完成した「もの」だけに向いていたわけではありません。
どうしてそれが生まれたのか。
誰が、どんな土地で、どんな感覚の中からつくったのか。
その背景まで含めて見たい。
そうしたまなざしは、やがて日本各地の土地や産業、そこに根づく文化へと向かっていきます。観光地を巡るというより、その土地に少し滞在し、景色の中に入り、その土地の人たちにとっては当たり前にあるものに触れること。上久保さんにとって面白かったのは、むしろそういう時間のほうでした。
その延長線上で出会ったのが、d design travel であり、d47 MUSEUMです。
きれいに見えるデザインの奥には、実際にはとても泥臭く、地道に土地を歩き、自分の身体で確かめていく営みがある。その姿勢に、強く惹かれていったそうです。
ezuとの出会いもまた、そうした土地との関わりの中から始まりました。d design travelの群馬号を通してリップル洋品店(取材当時のezuブランド名)と出会い、その後、d47のストアでezuを担当するようになってからは、桐生にも何度も足を運んでくれています。
印象に残っているのは、こんな言葉でした。
「実際に使ったり、作られている場所を訪ねることで、自分がどう感じるか。それがないと、言葉がどこかリアルにならない」
店頭で作品を伝える前に、まず自分の身体でその背景を受け取りにいく。上久保さんの姿勢は、最初からずっと変わっていません。

最初に惹かれたのは、色の多彩さだった
上久保さんがezuを初めて見た時、真っ先に惹かれたのは「色」だったといいます。
同じ青でも、ひとつではない。
白っぽい青、緑みを含んだ青、少し赤みのある青。
絵の具を混ぜていくように、微妙に異なる色が並んでいる。
その多彩さに、心をつかまれたそうです。
そしてその感覚は、ezuデザイナー岩野が服づくりの最初に抱いていた想いとも重なっていました。
布屋に並ぶ決まった色の中から選ぶのではなく、もっと複雑で、もっと自由な色があっていい。人と同じように、青にも無数の青があっていい。その想いから、染めることを始めたのだと岩野も伝え返します。
上久保さんは、その色のあり方に、ezuの考え方そのものを見ていました。
「この色が正解」と決めつけないこと。
どれも素敵だと開いていること。
偶然できた一歩手前の色にも、美しさを認めていること。
それは、服の色の話であると同時に、人へのまなざしにも通じているように思えます。
実際、上久保さんは「ezuらしさ」について話す時、色を単なる見た目の魅力としてではなく、考え方の表れとして受け取っていました。そこには、ひとつの答えに閉じないやわらかさがあります。
人も色も、もっと複雑でいい。もっと揺らいでいていい。そんなezuの前提を、上久保さんは最初から自然に感じ取っていたのかもしれません。

桐生でつくられている、ということ
上久保さんがezuらしさとして挙げるのは、色だけではありません。
この数年で感じているのは、服が少しずつアップデートされていること。着た時に、肩のラインや形の変化に気づくこともあるそうです。大きく変えるのではなく、少しずつ更新されていく。そんな積み重ねにも、ezuらしさがあると話します。
さらに大きいのが、桐生という土地の存在です。
生地をつくる人がいて、染める人がいて、縫う人がいる。多くの工程が桐生という土地の中でつながっている。桐生の機屋、染め屋、縫い子さんたち。その積み重ねの上にezuの作品は成り立っています。
けれど、それは単に「桐生製だから良い」という話ではありません。そこに岩野がいて、その土地と結びつきながら、関係を育てながらつくっているからこそ成り立っているもの。上久保さんは、そう感じているのだと話してくれました。
背景を知れば知るほど、ものはただの「もの」ではなくなっていく。
上久保さんは、その感覚をずっと大切にしてきました。
知る前と知った後では、同じものでも見え方が変わる。気づけなかったことが見え、輪郭が少しずつクリアになっていく。その奥行きを受け取ること自体が好きなのだといいます。

「伝える」ではなく、「体験してもらう」
上久保さんが店頭で大切にしているのは、思いを一方的に説明することではありません。
「自分の考えを押し付けても意味がない」
その言葉が、とても印象に残りました。
作り手へのリスペクトも、手に取るお客さまへのリスペクトも、どちらも欠かせない。
その人がなぜ足を止めたのか。なぜその服を手に取ったのか。まずはそこを感じることから始まるのだといいます。
上久保さんは、それを感性の「チューニングを重ねる」と表現していました。
お客さまの気配を感じ、その人の中にあるまだ言葉になっていない何かを見つめながら、作品とその人のあいだにある一点を探していく。
その服をどう説明するかより、その人にとってどう届くか。大切なのは、きっとそちらのほうです。
そして、最終的に大切なのは「自分で実感してもらうこと」だといいます。
いくら言葉で説明しても、その人自身が「大切だ」と感じなければ、作品は深く残らない。
逆に、自分にとってかけがえのない一着だと実感できた時、人はその服を長く大切にするようになる。
だから上久保さんは、服を売るというより、その実感が生まれる場をつくっているように見えました。
その意味で、上久保さんは「つなぐ人」であると同時に、ezuの作品を一緒に形づくっているひとでもあるのです。

着ることで、自分に出会い直す
印象的だったのは、店頭で起きていることの話です。
ezuの服を試着したお客さまが、涙を流したことがある。「自分には似合わない」と思い込んでいた人が、鏡の前で「あれ、本当に似合う」と驚く。購入後にまた訪れて、「あの時の服を今も着ています」「みんなに褒められます」と伝えにきてくれる。「新しい自分に出会えた」と。
そんな出来事は、一度きりではなく、何度もあったそうです。
上久保さんは、それを大げさな意味での感動体験と言いたいわけではない、と前置きしながらも、「頭ではなく、感覚で体感できること」だと語ります。
ezuの服は、見ただけではわからない。
着てはじめてわかる。
身体が入って、立体になって、その人自身のデザインになる。
そこが、一般的な服との大きな違いだと上久保さんは感じています。たっぷり布を使い、ワンサイズでもさまざまな体型の人に開かれていること。その人が着ることで完成すること。だからこそ、まずは着てみてほしいのだと。
そのうえで、どうしたら日常の中で無理なく着られるかも、一緒に考えていきます。
いきなり大きな変化を勧めるのではなく、今持っている服とどう合わせるか。どんな色なら取り入れやすいか。どんな季節の見せ方があるか。
お客さまのワードローブや暮らしを想像しながら、長く着られる一着へと整えていくのです。
服を手渡すことは、その人のこれからの時間に参加することでもある。
上久保さんのお話を聞いていると、そんなふうに感じさせられます。

ezuは、人を選ばない
もうひとつ印象的だったのは、「人を決めつけない」という話でした。
上久保さんは、ezuの服には「こういう人に似合う」という発想があまり浮かばないといいます。
人に服を合わせるのではなく、その人の今に、どの一着が響くのかを見る。主役は服でありながら、同時にその人でもある。そんな感覚です。
それは、ブランドをわかりやすくカテゴリ分けしないezuのあり方にもつながっています。
「何系」と整理して人を選ぶのではなく、もっと広く、もっと雑多に、いろいろな人が入ってこられること。制限しないこと。
それもまた、ezuの強さであり魅力なのだと、上久保さんと岩野の会話からは滲みでてきます。
最後に
最後に、これからのezuに期待することを尋ねると、上久保さんは「そのままでいてほしい」と話しました。もちろん変化を否定しているわけではありません。これからも外からの刺激を受けながら変わっていくのだと思う。でも、核の部分は変わらずにいてほしい。その魅力はちゃんと伝わっているから、と。
上久保さんの言葉を聞いていると、「販売」という言葉では捉えきれない仕事が、たしかにそこにあると感じます。
作り手の思いを受け取ること。
目の前の人の気配を感じること。
そのあいだに、自分自身の実感を通して言葉を差し出すこと。
そして、作品がその人の中で体験として立ち上がる瞬間を見届けること。
ezuの作品は、つくる人だけで完成するものではないと気づかされます。
届ける人がいて、まとう人がいて、その時間が重なっていくことで、少しずつ輪郭を深めていく。
上久保さんは、その大切な途中に立っている人でした。
そして同時に、ezuの作品が誰かのものになっていく瞬間を、内側から支えている人でもあります。
その姿を見ていると、ezuの作品は、手渡されるたびにもう一度、生まれているのかもしれません。
