ezuの作品は、日本で生まれたものでありながら、その感覚は少しずつ国境を越えて届きはじめています。
つくる人がいて、届ける人がいて、身につける人がいる。
その流れの中で、作品は少しずつ世界の別の場所へも渡り、違う文脈の中で、新しい意味も帯びていくのだと考えます。
今回お話を伺ったのは、マレーシアを拠点に日本の製品や伝統工芸品を届けているTakumi Internationalの阿部さん。マーケティングや現地コンサルティングを担うBridge Internationalとあわせて二社を率いており、日本文化・工芸品の輸出はTakumi Internationalが担っています。
阿部さんが行っている事業は、単なる輸入販売ではありません。日本で生まれたものを、異なる文化や市場の中でどうすれば届く形にできるか。その橋渡しを、長い時間をかけて丁寧に続けてきた人です。
取材協力:(Takumi International 代表 阿部さん)
日本のものを、世界へ出したかった
阿部さんは愛媛の出身です。大学卒業後はアメリカへ渡り、将来的な起業を考えながらMicrosoftに就職し、ITの世界でめまぐるしく変わる環境の中を、日々走り続けてきました。
その仕事は、とても面白かったのだと振り返ります。新しい技術が生まれ、社会が変わっていく現場に身を置くことは、阿部さんにとって自然に熱中できる時間だったと話してくれました。
けれど、40代を前にして、視点が少しずつ変わっていきました。
「自分のキャリアだけじゃなくて、子どもたちの世代の将来とか考えた時に、視点が一つ上がったというか」
子どもが生まれたことで、見えているものが変わった。日本の会社が世界に負けていく現実が、内側から感じられるようになっていったこと。そして、日本にはまだ世界に出ていないいいものがたくさんあると感じるようになったこと。その二つが重なっていったのだと、阿部さんは話してくれました。
その感覚の先にあったのが、「日本のいいものを海外に広げていく」という仕事でした。
伝統工芸も、地方のものづくりも、世界へ伝えたい素晴らしいものがたくさんある。だったらそれを届けていく仕事を、自分の次の時間にしようと思ったのだといいます。マレーシアへの移住も、その大きな方向の中にありました。当初から十年単位で考えていたそうです。
「一生かけても終わりのないことを、やっています」
この言葉が、今回のインタビューの中で静かに残りました。終わりが見えている仕事ではなく、一生かけても届ききらないかもしれないことを選ぶ。その感覚が、阿部さんの仕事の哲学なのだと思います。

マレーシアは、「均一」ではない
阿部さんがマレーシアで事業を始めて強く感じたのは、日本で売れているものが、そのまま海外で売れるわけではない、という現実でした。
マレーシアは多民族、多文化の国です。価値観も、所得も、地域性も大きく違う。クアラルンプールの中心部と郊外では市場の見え方が違い、人種や宗教によって受け止め方も変わる。日本のようにまとまった中間層に向けて考える感覚では、捉えきれない細かさがあるといいます。
「セグメンテーションを考えた時に、日本よりも切り方が細かいんです」
3,600万人の人口がいても、民族・宗教・所得・地域・価値観で切っていくと、その商品が本当に届く層はごく限られてくるかもしれない。だから、日本からそのまま商品を持ってきて届くものでもない。どの市場に、どういう形で、どう見せて届けるのかまで含めて、考え直さなければならないのだといいます。
日本で成功してきた会社ほど、それが難しい。
「日本でやってきた正攻法を、一回捨てないといけない。でも、それを捨てるのが不安で、どうしても同じようにやろうとしてしまう」
その難しさを間近で見てきたからこそ、阿部さんの仕事の価値があるのだと思います。
何が届くのか。どこに可能性があるのか。それを頭の中だけで決めるのではなく、現地で実際に試しながら探っていく。
阿部さんはご自身のやり方を、「バッターボックスに立って、とにかく打ってみる」感覚に近いと話してくれました。いろいろなボールを打っていく中で、どこにストライクゾーンがあるのかを見極めていく。
日本のものを外へ出すということは、ただ輸出することではない。異なる文化の中で届く形を探し続けることなのだと、話を聞きながら改めて感じます。

群馬、という縁
阿部さんとezuがつながったのは、Bridge Internationalのマーケティング顧問も務めている、ezuの平岡との縁からでした。そんな二人の関係性の上で、群馬の絹や桐生の織物を使ったヒジャブをマレーシアに届ける取り組みが生まれました。
最初にezuの作品を見た時、阿部さんにはすぐに引っかかるものがあったそうです。
「群馬に住んでいたので、まず群馬の伝統的な染物技術ということに惹かれましたね」
Microsoftに勤めていた2007年から約5年間、阿部さんは高崎に住んでいました。長男が生まれた頃のことです。自然が多く、少し足を伸ばせば長野にも新潟にも軽井沢にも行ける。子育て環境として恵まれていた土地が、阿部さんの中に今も残っているのだと思います。
そんな阿部さんが、マレーシアで群馬県桐生市が拠点のezuに出会あった。
「びっくりしましたよ、本当に」
ものを届けるという仕事にも、予期せぬ縁が静かに作用しているのだな、と感じたと言います。

伝統がモダンへと育っていくストーリー
阿部さんがezuの作品を見て感じたのは、技術とデザインの関係でした。
「ezuの作品は伝統的な技術を使っていて、それがモダンな感じになっているじゃないですか。そういった技術が今の社会に受け入れられるように更新されていく。そのストーリーがいいなと思いました。」
ezuを単に一つの商品として見るのではなく、土地に根ざした技術が時代に合わせて開かれていく存在として見ている。だから阿部さんにとってezuは、ただ美しいものというだけではなく、日本のものづくりが世界へ出ていく時のひとつの象徴のようにも映っているのかもしれません。
マレーシアのお客さまにezuを紹介する時も、まずその背景から話すといいます。
「伝統的な技術の奥深さをまず知ってもらってから、初めてezuの価値が伝わると思っています。写真もつけながら、こうやって作っているんだというストーリーを伝えていく」
言葉より先に、背景を渡す。それがezuを届ける時の、阿部さんの順番なのだそうです。

手が、先に動く
現地のお客さまの反応で、阿部さんが印象に残っていることがあります。
「やっぱり、手に取る方が多いですね。手触りがいいんだと思います。」
商品を陳列していると、人はまず触る。品質を確認するというより、確かめるように触る。手触りで伝わるものがある、と阿部さんは言います。
ezuの良さは、背景を知ることで深まる。でも同時に、触れた瞬間に伝わるものもある。
「オンラインでも販売していますけど、やっぱりお店で実際に触れて、身につけてみて、初めて伝わるんだと思います。ストーリーを知って、実物に触れる。この両方が揃った方がいい」
染める体験のようなことも企画していきたい、とも話してくれました。染める前の布と、染めた後の布を並べて見るだけでも、ものの見え方は変わる。知識として聞くのと、目で見て手で触るのとでは、届き方がまるで違うのだと。
ヒジャブについては、反応がもう少し鮮明です。
「こういうヒジャブってないと思うんですよね。だから『これ、ヒジャブなの?』って。しかも日本で作っているって聞いて、驚かれることが多い」
珍しさというより、意外さ。見たことのないものとして届いている。それもまた、文化を越えてものを届ける時の面白さなのだと思います。

ブランドとして、育てていく
阿部さんにとって、ezuはまだ「これから」の存在でもあります。
「ezuの可能性は、もっと広がっていくと思います。
今後はさらに、ezuの哲学をベースとしつつも、ローカルにフィットした形も模索し、一緒にブランドの幅を広げていきたいです。」
単発の商品としてではなく、ezuというブランドが持っている力そのものを、マレーシアで少しずつ広げていけたらと思う。そのためには、ただ商品を並べるだけでは足りない。ブランドイメージに近い人との出会いをつなぎ、その人を通して見える景色を伝えたい。
阿部さんは、マレーシアではSNSの活用、特にインフルエンサーとの協働が重要だと見ています。しかも、その相手は誰でもいいわけではない。
「ラグジュアリーさがあって、でもあまり政治的とかじゃなくて、自然体で発信しているような人がいいんじゃないかなと考えています」
また、日本の文化そのものに関心のある人、日本に留学経験があったり、日本語を学んでいたり。そんな人々を通じて伝わることも多い、とも話してくれました。
「マレーシアにも日本の文化や言葉に関心を持った人がたくさんいます。そういう方々を通して伝えるのが、やっぱり届きやすい」
誰に届けるか。誰を通すと、その空気が歪まずに伝わるか。
阿部さんは、商品そのものだけでなく、その届け方まで含めて設計しているのです。
毎年6月頃に一緒に取り組んでいる西武フェアも、そうした積み重ねのひとつ。2026年6月19日からも、クアラルンプールのThe Exchange TRX内「SEIBU」で開催されるJapan Fairに出展し、ezu作品をマレーシアの方々に広く届けることができました。
単発で並べて終わるのではなく、繰り返し見てもらいながら、少しずつ地場での文脈を育てていく。そうした蓄積の中で、ブランドはようやく根づいていくのだと思います。

ezuは、日本大使館のイベントにも参加しました。そうした機会をいただけたのも、阿部さんとのご縁と支えがあってこそ。日本文化をテーマにした展示が並ぶ場で、ezuのヒジャブを手に取ってもらえる機会となりました。
国や宗教や言葉が違っても、「これは特別だ」と感じ取られる場面がある。その光景を、阿部さんと一緒に作ってきました。
日本の産地を、地図にする
阿部さんが今、構想しているのは、日本各地の産地をウェブ上のマップで見せる仕組みです。
どこで作られているのかが一目でわかる地図。そこをクリックすると工房が現れ、体験ができる。世界から訪れた人が、東京や京都を超えて、桐生という土地へ行ってみたくなる。
「商品だけ見て語れるものもあるんですけど、語り尽くせていない。商品が生まれている場所とその文化まで含めて、行ってみてもらう。そこから深いファンになっていく」
商品を届けるだけではない。その土地ごと、その文化ごと伝えていく。ものを売ることの先に、産地へ橋を架けようとしている。この構想は、長くマレーシアと日本の両国で事業を行ってきた、阿部さんにしかできないと感じます。

定年は、ない
最後に、この仕事をどこまで続けるのか、と聞いた時の言葉が印象に残っています。
「定年はないでしょう(笑)。終わりがないと思っています。好きですし、面白くてやっているので、健康なうちはずっと続けたい」
最近、マレーシアの居住ビザを10年の長期ビザに切り替えたそうです。少なくとも、あと10年はここにいる。そのうえで、日本のいいものを海外に出すという仕事は、一生かけてもやり続けられるものだと話してくれました。
高らかな宣言ではなく、ごく静かな言い方でした。好きだから続ける。飽きないから続ける。シンプルで強い想いが、10年以上もつづく阿部さんのエネルギーなのだと感じます。
おわりに
阿部さんは、ezuをマレーシアで届けてくれている人、というだけではありません。
日本のものづくりが異文化の市場へ出ていく時、何をそのまま届けて、何を翻訳し直すべきか。その間に立って、橋をかけている人です。
群馬の技術に惹かれたこと、マレーシア市場の細かさを知っていること、商品だけではなくストーリーと体験の両方が必要だと見ていること、ezuをブランドとしてマレーシアで育てていこうとしていること。そのすべてが、今回のインタビューには表れていました。
ezuの作品は、海を越えた瞬間に別のものになるわけではありません。けれど、別の文化の中で届けていくためには、言葉だけではない現地への価値の翻訳が必要。そのあいだに立ち、ストーリーを大切に背景を言葉にし、体験へとつなぐ。そんな受け取られる形へ整えていく人がいる。
阿部さんは、その大切な役割を担っている人です。
そんな阿部さん姿を見ていると、ezuの作品は、ただ海を越えて運ばれているのではなく、届くべき場所へ向けて、もう一度ていねいに橋をかけられているのだと感じます。
そしてその先で、誰かの日々の中に、静かに溶け込んでいくのだと思います。
