ezuにとって、オンラインはただの販売手段ではありません。
リアルのアトリエショップや展示空間の代わりになるものでもなく、まして単なるECサイトでもない。触れられないからこそ、写真や言葉、余白や順番、そのすべてを通して、ezuの空気を受け取ってもらう場所。画面の向こうにありながら、どこか温度のある「場」として育ててきたものです。
今回お話を伺ったのは、その場をかたちにしてくれている、江上多栄子さんと江上真人さんご夫妻。
お二人は、マレーシアを拠点に、それぞれの得意分野を生かしながらものづくりを続けています。多栄子さんはデザインを、真人さんはエンジニアリングや実装を担う。役割ははっきり分かれていながら、息を合わせてひとつのものをつくっていく。そんなお二人です。
ezuのウェブサイトを見ていると、情報が整理されているだけでは感じることのない何かがあります。美術館のようでもあり、ギャラリーのようでもあり、けれどそれとも少し違う。服だけでなく、ezuという、まるで人格を持ったかのような感覚が静かに立ち上がってきます。
その感覚は、どうやって生まれているのか。今回は、お二人の背景から、ezuとの出会い、オンラインで世界観をつくることについて、じっくりお話を伺いました。

芸術が好きだった人と、形になる実感を求めた人
まず印象的だったのは、お二人がまったく違う場所から今の仕事へたどり着いていることでした。
多栄子さんは、もともと芸術や音楽が好きだったと話します。ナチュラルローソンのマーケティング企画部で働いていた頃、個人で続けていたブログがきっかけになり、ホームページづくりに関わることになりました。経験も知識もないところから始まったそうですが、その時に「つくる側の仕事がめちゃくちゃ楽しい」と感じたことが、大きな転機になった。
そこから独学で学び、ウェブデザイナーとしてキャリアチェンジを重ねながら、二十年近くものづくりの現場に立ち続けてきました。
妊娠・出産・育児に関わるベンチャー企業では、サイトもアプリも幅広く手がけ、プロジェクトマネージャーやプロダクトオーナーの役割まで担ってきたそうです。そのアプリはのちに、日本のAppleのApp Storeランキングで1位になり、「私が作ったんだよ」と多栄子さんが嬉しそうに話す場面が、インタビューの中にありました。
一方の真人さんは、京都大学で大学院に進み、材料工学を専攻していました。鉄や半導体を扱う研究の道から、ウェブの世界へ進んだ理由を聞くと、「もっと早く周期が回るものをやってみたくなった」と話してくれました。
留学先で出会った人たちに、自分の仕事をどう伝えられるか。研究の世界は奥深いけれど、「これが自分の仕事です」と手応えを持って伝えられるまでには、とても長い時間がかかる。場合によっては、一生をかけてもなお、その到達点が見えないこともある。そうではなく、自分が生きている時間の中で、自分がつくったものが形になり、それが人に届き、その反応を自分の目で確かめられる仕事がしたいと思うようになっていった。そんな思いが、今の仕事につながったとのことです。
帰国後、価格コムに入り、食べログでエンジニアとして働き、その後はベンチャーへ移りながら技術を磨き、最終的にテックリードを担うようになっていきました。
その後、二人は出会い、それぞれの技術と経験を持ち寄って会社設立。現在に至ります。
お二人自身は、「会社を一緒にやっている感覚はあまりない」と笑っていました。けれど話を聞いていると、役割分担は驚くほど明快です。多栄子さんが見える部分、つまり世界観をつくり、真人さんがその中身や動きを圧倒的な技術力でつくる。お互いの得意なことがきれいに噛み合っているから、迷いなく前に進めるのだろうと思いました。

マレーシアへ。多栄子さんの、独断から
マレーシアへの移住は、多栄子さんの独断でした。
コロナ禍で先が見えなくなった時に、死ぬまでにやりたいことを書き出したら、「海外に住む」が一番最初に出てきた。ならばやろう、と決めた。ビジネス上の大きな計画があったわけではなく、まずは自分の人生として選んだ決断だったそうです。
真人さんには「ついてくる義務はないけど、来たいなら来てね」と伝えたら、「行くっしょ(笑)」と言って一緒に来た、と話してくれました。その語り口はとても軽やかでしたが、実際にはかなり大きな変化だったはずです。
計画と戦略だけで動いたというより、人生そのものを少しずつ作り替えていくような感覚で来ている。そういうところも、お二人のつくるものの柔らかさにつながっているように感じます。
マレーシアに来てから、ezuの岩野、平岡たちと出会い、2024年の夏頃に公式サイトの制作を依頼してからの大切な仲間です。

ezuを最初に見た時、「唯一無二」だと思った
ezuとの仕事上の関わりが始まるより前に、多栄子さんはすでにezuの服を手に取っていました。
最初に感じたのは、「唯一無二」だったそうです。特に強く惹かれたのは、色でした。アートの目線で見た時に、ふつうにはない色合いだったこと。さらに、その背景にある純粋さや、つくり手がそこにかけている思いまで感じられたことが大きかったといいます。
多栄子さんは、もともと一点ものに惹かれるタイプなのだそうです。ただ、それ以上に「ここに愛を感じる」と話していたことが印象に残りました。服そのものだけではなく、その奥にあるものに反応していたのだと話してくれました。
真人さんは、ezuの案件について「システムをつくる」という意味では特別な違いはないと前置きしながらも、そこに多栄子さんの強いこだわりが入ることで、いつもの案件とはまったく違う面白さが生まれると話していました。
一般的な案件では、デザインされたものが実装の段階で少しずつ劣化してしまうこともある。けれどezuではそれがない。むしろ、実装の段階でより良くなることさえある。そのことを「楽しい」と言い切っていたのが、とても象徴的でした。

ezuのサイトは、「くみさんを表現する場所」
お二人にとって、ezuのウェブサイトはどんな場所なのか。この問いに対する多栄子さんの答えは、とても明快でした。
「くみさんを表現する場所」
商品を並べる場所というよりも、岩野久美子が表現しているものを、世界に向けて開いていく場所。リアルの店舗やアトリエショップはどうしても地理的な場所は限定されがち。けれどオンラインなら、世界に向けて発信していける。
多栄子さんは、岩野久美子の表現を世界中に伝えたいと、強い想いをもって最初から携わってくれていました。
この話の流れの中で、多栄子さんが何度も言っていたのが、「ezuって、くみさんなんですよ」という言葉でした。ブランドを擬人化することは普通しない。でもezuに関しては、自分の中で最初からずっとそうだった。だから「どこを見ても、くみさんだとわかるものをつくりたい」と思っていたのだと。
服を見せる。商品を売る。情報を整理する。そういうウェブ制作の作業ではなく、その人の空気や、思想や、行間ごと伝わるものにしたいということ。
岩野もまた、「服をつくっているつもりがない」と話します。服というかたちで表現しているけれど、自分がつくるものは服だけに閉じていない。これからシャンプーや石鹸、食品、ファニチャーや空間デザインへと広がっていく未来も、それは全部「私がつくるから、私」そんな感覚だと。
多栄子さんは、そのことを最初からわかってくれていた。だから、ezuのサイトをつくる時にも、売る・買うだけのサイトではなく、ezuの世界観そのものをつく出そうとしたのだと思います。
「くみさんの美学」を感じ取っていた
ezuのサイトが、なぜあの世界観になるのか。どこをどう工夫すると、あの空気感や温度が生まれるのか。
その問いに対して、お二人は意外な答えを返してくれました。
「言語化できないから、出来上がってるんじゃないか」
もちろん、そこで終わっているわけではありません。真人さんは、美術館っぽく組むとしたらこうだろう、という技術面の大きな方向をつくりながら、あとは多栄子さんの感覚に合わせて微調整していくと話してくれました。フォントを少し小さくする。余白をもう少し広く取る。そういう細かなこだわりの積み重ねで、ezuらしさに近づけていく。
多栄子さんは、アートページで余白を広く取っていることにも意味があると言います。
「くみさんって、ぎゅうぎゅうじゃないですよ、私の中で。くみさんの頭の中は多分思考がすごいいっぱいあるけど、外に出す時ってパーソナルスペースをちゃんと大事にしてるから、それをちゃんと表現したいっていう感覚があって」
余白は、レイアウト上の空白ではなく、くみさんのパーソナルスペースの表現なんです。
この話は、多栄子さんが岩野の文章について話した時にもよく表れていました。岩野の文章の改行の位置や、一見すると文法から少し外れたように見える書き方。その独特な「間」を、多栄子さんは最初から「らしさ」と受け取っていた。文章に内包されたものを、そのまま読み取っていた。
岩野は、それを「美学を感じ取ってくれている」と受け取っていました。説明しなくても伝わる。むしろ説明しても伝わらないものが、最初から伝わっている。
そこには、長く仕事の中で「いいもの、美しいものを出したい」と向き合い続けてきた多栄子さんの経験があるのだと思います。

オンラインだからこそ、想像の余地が残る
リアルでは触れられる。オンラインでは触れられない。一般的には、オンラインの難しさとして語られがちなことです。でも多栄子さんは、そこを少し違う角度から見ていました。
「触れないことで、想像は膨らむじゃないですか」
オンラインでは実際に触れられないからこそ、その人の中で「いい感じに想像が膨らむ」。それがいいのだと。
ezuの作品にリアルで触れると、そのもの自体のリアリティが強く立ち上がる。けれどオンラインでは、その人の中にいろんな絵図が生まれる。その感じが楽しい。芸術と同じだね、と岩野も応じます。
全部説明しきらない。決めきらない。受け取る人の感受性に少し委ねる。ezuのサイトは、情報を減らしているのではなく、想像のための余地を残しています。ezuにとってオンラインは、リアルの代替ではなく、もうひとつの扉なのです。
「全部のバランスをezuにする」
写真なのか、テキストなのか、レイアウトなのか、色なのか。どれがezuの空気感をつくっているのか。
この問いに対して、お二人は「全部」と答えていました。
「全部のパーツが重なって、それがezuになる」
顔だけつくっても人間にはならない。同じように、写真だけ、テキストだけ、余白だけではezuにはならない。すべてのバランスが整った時、ようやくezuになる。
真人さんは、それが少しずれた時の感覚をこう表現していました。
「ちょっと、くみさんじゃない」
この感覚が、お二人の中の基準になっているのだと思います。だからこそ、お二人の仕事は「サイトをつくる」という作業ではなく、ezuという人格そのものを、つくり出すことなのでしょう。
商業サイトではなく、美術館のように回遊する場所
お二人がezuのサイトについて何度も話していたのは、「商業メインではない」ということでした。
普通のECサイトなら、いかに商品ページへ誘導し、いかに購入ボタンを押してもらうかが中心になる。そのために、わかりやすく、欲望に触れる構造が求められる。けれどezuはそうではない。
多栄子さんは、お客さまには「美術館に来てる感覚」で見てほしいと話していました。まず入口から入り、作品を観ながら進んでゆく、進んだり立ち止まったりしながら、ぐるっと巡ってほしい。その人の歩幅で。
真人さんもまた、ezuのサイトは「コンバージョンだけを取りにいくサイトではない」と話していました。ウェブサイトのアクセス数や購入率のためではなく、久美さん自身であればいい。究極的には、来てくれなくてもいい。来てくれた人が楽しんでくれたら、もっといい。
「自分が作ったもので、サイト分析ツールである、Google Analyticsを見ないのは、初めて」
そう話す真人さんの言葉に、ezuのサイトが持つ特別な立ち位置がよく表れていると思いました。だからこそezuのサイトは、ただの買い物の場ではなく、出会いの場として存在しているのだと思います。
二年間で、ezuは増えた。でも核はぶれなかった
お二人とウェブサイトを育てるようになってから、もうすぐ二年。この間に、ezuのサイトはかなり変化してきました。
最初はもっと項目も少なかった。そこからTextile、Item、Art、読みものが増え、今では服だけでなく、さまざまなジャンルでの制作へと拡がってきています。
でも同時に、お二人は、増えていっても核の部分はぶれていないと話してくれました。多栄子さんが最初から「見えていた」と言っていたこと。岩野の世界観が、ずっとこうあってほしいというかたちでぶれなかったこと。それがあるから、要素が増えてもなおezuはezuのまま。
今後さらに服以外のものが増えていった時には、サイト全体の再定義が必要になるかもしれない、と真人さんは話していました。けれど、それもまた面白がってくれているように感じました。
ezuが服以外の表現へと拡がっていくことを、多栄子さんは「楽しい」と言い、真人さんは「もっと見たい」と言っていたからです。

ezuは、お二人にとっても特別な作品だった
多栄子さんには、ezuと関わる中で生まれた変化があります。
「私は商業デザイナーなので、人を表現するのが得意なんですよ。くみ取れるから。なんだけど、自分を表現すること、マジで本当に苦手なんですよ」
他者の世界観に入り込み、それを形にする力はある。でも自分自身を表現することは、ずっと苦手だった。
「くみさんのアートで、こういう表現ができるんだとか、思ったことを絵にするって、難しいんですよ。思考が止まるの。どうやってこんなふうに表現できるのっていうのを、感覚まで開けるぐらいやれるってすごいなみたいな」
多栄子さんはezuと関わるようになって、自分でも絵を習い始めた。アーティストとはどういうふうに表現するのかを、近くで見せてもらっている感覚がある、と話します。
「表現するってこんなふうに広がるんだみたいなのを、実感と体感をしている感じ。疑似体験しているみたいな」

真人さんもまた、ezuのサイトはこれまでの案件とは違う場所にあると話します。数字だけで見るサイトではなく、その人の世界がきちんと息をできるように整えていく場所。そんな仕事は、これまでなかったのだそうです。
ezuのサイトをつくることが、お二人にとってもまた、別の表現への入口になっていた。ただウェブサイトをつくるだけではないezuとの関係が、ここにあります。
最後に
最後に、これからのezuについて一言お願いします、と尋ねた時、多栄子さんはこう言いました。
「そのまま、型にはまらないでいってほしい。それが唯一無二だから。それのままでいてほしい」
真人さんは、少し間を置いてから、
「もっと見たい。服とか絵だけじゃなくて、くみさんが設計した家とか、ホテルの内装とか。日に日に、サイトのメニューが増えていくのが面白い。だからもっと増えていってほしい、みたいな。これからも、もっといろんな世界を一緒に見たいなって感覚です。」
お二人がつくっているのは、ezuの情報を整理して掲載しただけのウェブサイトではありません。岩野久美子という表現が、オンラインの上でもきちんと息をできるように整えられた場所です。触れられないからこそ、余白があり、想像があり、観る人の中で自由に絵図が描かれてゆく。
ezuの作品は、リアルなアトリエショップや展示空間だけでなく、オンラインの中でもちゃんと生きているのだと感じます。そしてその感覚は、きっとこれからも、画面の向こうの誰かに、出会ってゆくのだと思います。
