記憶が宿り、服は完成する。料理人ちこさんが語る「わたしだけの一着」

記憶が宿り、服は完成する。料理人ちこさんが語る「わたしだけの一着」

ezuの衣服が生まれるまでには、多くの人の手が関わっています。

デザインをする人、布をつくる人、裁断をする人、縫い上げる人、染める人、お客さまに届ける人。

そして最後、その作品を真の意味で完成させるのは、実際に袖を通し、日々をともにする「つかう人」。料理人のちこさんも、その一人です。

つくる人がいて、届ける人がいて、つかう人がいる。

衣服が日々の時間をともにし、出来事や感情、場の空気を吸い込みながら、記憶を遣っていく。

今回のインタビューでは、食を通して「生き方」を見つめ続けてきたちこさんに、ezuの服が日々の暮らしの中でどんな存在になっているのかを聴きました。

食と衣。

一見別の世界に見える二つの営みが、実は深いところでつながっている。そんなことを感じさせてくれる時間でした。

料理人として、「生きること」に向き合う

ちこさんは料理人であり、植物療法のサロンのセラピストでもあります。

2006年、仲間たちと「御食事ゆにわ」を立ち上げ、「食べ方を変えると生き方が変わる」というテーマのもと活動を続けてきました。

その根底にあるのは、「作り手と食べ手、両方の食の価値を上げていく」という人生のテーマです。

大学で栄養学を学び、さまざまな現場を経験してきた一方で、数値化された栄養だけでは捉えきれない「人の手の温もり」や「作る人の気持ち」が食べ物に与える影響を、ちこさんは強く意識してきました。

その背景には、17歳の頃に心を病んでいた自分を救ってくれた「おむすび」の存在があります。のちに人生の恩師となる、大学受験塾の塾長夫妻が心がスカスカで元気のない学生たちに愛情をこめて「おむすび」を結んでくれたことがきっかけで心が満たされる体験をしました。

食べると心があたたかくなり、元気になる。そこには単なる数値ではない力がある。その手の温もりを感じる場所をつくりたいという想いが、すべての原点になっています。

ezuとの出会い

ちこさんがezuを知ったきっかけは、ドキュメンタリー映画『美味しいごはん』の製作でした。

映画の中で身につける服は、自分たちと近い想いで制作された、力強いメッセージを持ったものを使いたい。そう考えていた時に知人から紹介されたのが、ezuでした。

インスタグラムで色とりどりのワンピースが並ぶ写真を見てすぐに、群馬・桐生のアトリエを訪ねることになります。

タイトなスケジュールのなか日帰りで足を運んだその一日のことを、ちこさんは今でも濃い記憶として残っていると言います。

実際に目の前で見たezuの服の印象は、とても明快でした。

「植物的で、生きているものだな、という感覚をすごく感じた」と話します。

着飾るためだけのものではなく、素材そのものが立ち上がっているような服。植物や食べ物に触れているときに感じる生命力が、そこにあった。

実際に袖を通した瞬間、「すごくいいな」と直感したその記憶ごと、今もはっきり覚えているそうです。

最初に手にとった一着は、後に映画のポスターにもなったワンピースでした。ベージュと白を基調に、いくつかの布がつなぎ合わされた立体感のある服。製品として整えられる前の、即興的に生まれたような一着だったと言います。

着た瞬間に感じたのは、「皮膚がしっくりきた」という感覚。自分がこう在りたいというイメージに、自然に寄り添ってくれる。着飾らせるのではなく、むしろ自分をニュートラルな状態に置いてくれるような感覚。圧倒的に「エネルギーが高かった」と振り返ります。

その一着は、9年経った今も大切な場面で着る特別な服として、人生の節目節目に寄り添い続けています。

食を表現するときに、ezuを遣う

今では「着物かezuの服か」というくらい、ezuが生活に馴染んだ存在になっているというちこさん。

特に自分を表現したい時、たとえば和歌山の梅農家を訪ねる時や、講演会で登壇する時、食に関わる方々とディスカッションする時には必ずezuを選ぶと言います。

「食と自分を表現する時に、ぴったりくる」という感覚。

色にはそれぞれのイメージがあるけれど、ezuの服には色以上の「輝き」がある。だから、その日の気分やどう見せたいか、誰と会うのか、相手にとって心地いいかまで含めて服を選ぶ。

単に着るのではなく、意識して遣う。その態度そのものが、服との深い関係を表しているようです。

工業的ではない、という魅力

ezuの魅力について伺うと、「工業的ではないこと」という答えが返ってきました。

一律のものをつくろうとしていない。それぞれ違っていい、という前提がある。

それは人間も同じで、みんなが同じである必要はないし、体調もライフスタイルも変化していく。ezuの服は、その変化に寄り添える服だと感じているそうです。

ちこさんは、ezuの一点物や手の込んだ服を見たとき、その非効率さの中にこそ、つくり手の人柄や思想が出ると語ります。

「これをつなげて縫うのは、めっちゃめんどくさいだろうなと思うんだけど、そこに何を大事にしたいのかが出る」

食も同じ。食材と向き合い、手間をかける。

一見、誰にも気づかれないであろう細部にも手間をかける。そこに、その人が何を守りたいかが現れるのだと言います。

お米のピッキングと、服に気を向けること

食のプロとしてのこだわりを尋ねると、ちこさんは「お米のピッキング」を挙げました。

お米を炊く前に、一粒一粒を見る。

バットに広げたお米を指先でつまみ取り、じっと見る。これは選り分けること自体が目的ではなく、「見ること」が目的なのだと言います。

見られたものと、見られていないものは、味が全く違う。

同じ水、同じ条件で炊いても、輝きがまるで違う。

まとめて上から見たらすべて同じに見えるお米も、近くで見れば一粒一粒に表情がある。
だから一粒一粒に気を向ける。愛情を注ぐ。

その話を聞きながら、ezuのデザイナー岩野久美子も「服も同じ」だと応じます。
完成した服に話しかけ、整えてあげると、服は自信をもって輝きながらお客さまを迎える。食べ物も服も、気を向けられ、愛されると、ちゃんと応えてくれる。

この感覚が、二人のあいだで自然に共有されていました。

割烹着という、お守り

ちこさんにとって欠かせないのが、ezuの割烹着です。「割烹着を作ってくれない?」という一言から始まった制作。半年ほど経って届いたのは、黄色、ピンク、青など、色違いの五着でした。

「料理場に立つ前に、その時の自分の気分に合わせて色を選ぶだろう、というところまで理解されている」

その提案に、衝撃を受けたと言います。

動きやすさや洗濯のしやすさ、そして長く使い続けることができるよう、丁寧に設計されたデザイン。割烹着を留める部分には、一つひとつ表情の違う「貝ボタン」が使われていました。(貝ボタンに関する想いはこちら)

自然界にしかない輝き。ボタン一つにも意識と理由がある。それを知ることで、服への愛着はさらに増していきます。

今やその割烹着は、厨房に立つ時に「行くぞ」と気持ちを整えてくれる、お守りのような存在。日常のパフォーマンスを支えてくれる大切な一着になっています。

服は、買って終わりではない

印象的だったのは、「洗えること」が嬉しいという話です。

お気に入りの服を自分で洗い、干し、手をかけることで、服にも気持ちがこもる。それが「育つ」ということ。

つかうほどに、服が生き生きと育ってゆく。

そういう経験も、ezuと出会って初めて知ったことでした。

「自分にはこんなお洋服買ったことないな、と思う方がいるかもしれないけれど、『自分でそこから育てていける服なんだよ』って伝えたい」

ezuの服は完成品として届くのではなく、手にしたところから関係が始まる。つかって、手入れして、記憶を重ねて、自分のものになっていく。服の完成は、その人との時間の中にあるのです。

これから、どんな時間を重ねたいか

最後に、これからezuの作品とどんな時間を重ねていきたいかを聞きました。

「わたし自身も変化し続けたい。だからezuも、止まらずに変化し続けてほしい。年齢や人生の重ね方によって表現の仕方は変わっていいと思う。だけど自由さは変わらずに、その時々の感覚から生まれる息吹を大事にしてほしい」

今の時代に疲れている人は、まず一回袖を通してみてほしい、とちこさんは言います。つかっている時の自分とそうでない自分を比べて、呼吸している感覚を体感してみてほしい、と。

それは見た目の話だけでなく、服を通して自分自身の状態が変わるという体験なのです。

服に記憶が宿るとき

今回のインタビューを通してあらためて感じたのは、ezuの服は、つくり手の手を離れた後にも生き続けるということでした。

つくる人がいて、届ける人がいて、つかう人がいる。

その流れの中で、衣服は一旦、物質としては完成する。でも、そこに日々の思い出や感情が記憶として宿り、その服は、その人だけの一着となる。

食べ物に気を向けること。服に気を向けること。

気が流れたものは変わる。愛情を注がれたものは育つ。

ひとと同じです。

ezuの服は、買って終わるものではありません。

身に遣うことで育ち、記憶や想いが宿り、人生のパートナーになっていく。そして、その記憶までを含んで、ezuの作品は完成していくのだと思います。


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