元年堂 石川さん。「日本の文化を身にまとって、ここに立っている」

元年堂 石川さん。「日本の文化を身にまとって、ここに立っている」

ezuの服は、つくられた場所から遠く離れて、思いがけない土地で生きはじめることがあります。

つくる人がいて、届ける人がいて、その服を毎日まとい、場に立ち続ける人がいる。

ここは、マレーシア・クアラルンプール。十割そばの店「元年堂」。厨房にも、ホールにも、群馬・桐生で一着ずつ手をかけてつくられたezuの服を着た人たちが立っています。その多くは、マレーシアで生まれ育ったスタッフたちです。

この場所で、ezuの服をスタッフ全員のユニフォームに選んだのが、運営の統括を担う石川翼さんでした。服のことを尋ねていくと、話はいつのまにか、そばのことや、日本のことや、海を渡ってきた一家のことへと広がっていきます。石川さんにとって、ezuを着ることは、もう「制服を着る」とは別のことになっているようでした。

クアラルンプールの十割そば店「元年堂」

承認欲求の塊だった少年が、世界を旅した

石川さんは、子どもの頃の自分を「承認欲求の塊だった」と笑います。

バスケットボールに打ち込んだのも、根っこにあったのは「モテたい」という気持ち。シャイなくせに、何かで認められたくて、ずっと走っていた。そんな少年だったと、少し照れながら話してくれました。

大学は教育学部。教師を目指していた時期もありました。けれど卒業して選んだのは、少し意外な場所でした。海の見える神奈川・逗子マリーナの、ウェディングプランナーです。

「幸せが集まっているところで働きたいなって思って」。バンケットルームで結婚式を回しながら、併設のイタリアンに立つうちに、ワインの世界へ引き込まれていきます。知っていけば知っていくほど、生産者の話や、どうつくられているのかを知りたくなった。

その問いが、彼を旅に出します。ワーホリでフィリピン、ニュージーランド、オーストラリア。ニュージーランドではワイン畑に立ち、ワイナリーで醸造の現場を教わった。オーストラリアではカジノ横のファインダイニングでサービスをしながら、各地をめぐりました。

25、6歳で日本へ戻り、英語コンサルタントとして働きはじめた頃、いまの奥さんと出会います。各地を渡り歩いてきた足が、ようやく地面に着こうとしていた時期でした。

コロナ禍をはさんで、法人営業を数年。そのあいだ夫婦でずっと交わしてきた「東南アジアに住みたい」という言葉が、少しずつ輪郭を持ちはじめます。

元年堂 運営統括の石川翼さん

1歳3ヶ月の娘を連れて、マレーシアへ

マレーシアを選んだ理由は、いくつもありました。シンガポールと比べたときの住みやすさ、物価、親日的な空気、伸びていく日本食のマーケット。

けれど、移住のいちばん奥にあった動機は、もっとまっすぐなものでした。僕たちが幸せになるための選択をしていこう、そこに娘もちゃんとついてくるから。そういう思いで来たのだ、と石川さんは言います。

1歳3ヶ月の娘を連れての、引っ越しでした。

その娘さんは、いま少しずつ英語を話しはじめている。奥さんは「もっと長くいたい」と言う。来てよかった、と石川さんはしみじみ話してくれました。

石川翼さん

元年堂という場所

石川さんが運営を統括する「元年堂」は、クアラルンプールにある十割そばの名店です。

元年堂の母体は、Culture Link Malaysia Sdn. Bhd.。このマレーシア法人は、ezuの平岡が関わる法人を含む3社の合弁でつくられました。その最大の出資企業である株式会社シードは、静岡県三島市で元年堂の本店を営んでいます。

本店の十割そばを、海を越えた土地でも同じ質で出せるか。その実証として、マレーシアへの出店が決まりました。難しい挑戦だが、日本でなく異国の地に日本の食文化を届けたい。自分たちの技と志が、異国でも通用するのか確かめたかったのだと石川さんは話します。

さらに元年堂は、ただのそば屋ではありません。席数の2割以上を削ってまでつくった展示スペースがあり、日本の本物の工芸を紹介する場にもなっている。食と工芸が、ひとつの空間に同居しています。

大切にしていることを聞くと、石川さんは3つ挙げました。日本のおもてなしをしっかり伝えること、料理の質を担保すること、そして日本に来たと思ってもらえるような雰囲気を守ること。

ezuと元年堂。平岡は、その両方に出資者かつ創業メンバーとして関わっています。「衣」のezuと、「食」の元年堂。扱うものは違っても、根にあるのはどちらも日本の文化を大切にする姿勢でした。この二つは、相性がいい。つなげば、きっと新しい縁が生まれる。そう思った平岡が、両社の縁を紡いだのだそうです。石川さんとezuの出会いは、その流れの中から生まれました。

ezuをユニフォームにまとう元年堂のスタッフ

展示の第2弾として、ezuと出会った

石川さんがezuを知ったのは、その展示スペースでの企画でした。日本の工芸を紹介する第2弾として、ezuとのコラボレーションが決まる。作品と顔を合わせたのは、そのときが初めてでした。

最初の印象を聞くと、少し考えてから、こう言いました。「すごく自然体というか。型にはまった洋服ではなくて、一つ一つが違う。同じ色に見えるんですけど、デザインや形、絶妙な色の違いがあって。ユニークで独特な世界観を持った方が作っているんだなと思いました」。

やがて、スタッフ全員のユニフォームをezuにする。その決断が、かたちになっていきます。

みんなで袖を通した、あの瞬間

いちばん忘れられない場面を聞くと、石川さんが挙げたのは、スタッフ全員が初めてezuに袖を通した、あの日のことでした。みんなが試着するあの瞬間が、ずっと印象に残っているのだと言います。

スタッフのほとんどは、マレーシアで生まれ育った人たち。見たこともない、初めてのezuの服。最初は、恥ずかしそうな、照れた顔をしていたそうです。

それが、袖を通したあと、お互いの姿を見合って、ふっと、笑い合った。空気が、変わった瞬間があった。何か共通のものを得て、共同体として強くつながる感じ。これからもっとやっていこうよ、という気持ちが、その場に立ち上がったのだと石川さんは話します。

言葉にするのは難しい、と石川さんは言いました。その場に居合わせた岩野久美子も、「めちゃくちゃ良かった、あの一体感」と言葉を重ねます。

いま店長を務めるルーベンさんは、ezuのシャツに腕を通した瞬間、「気が引き締まって、気持ちが切り替わった」と話していたそうです。

元年堂に並ぶ ezu の作品

色が、気分を変える

石川さんが着るezuの服は、白と藍の2色。以前はずっと、量産品の黒いポロシャツだったと言います。ezuの色によって、気分が変わる。白だと、ちょっと明るい、陽気なスイッチが入る。藍だと、ぴしっとする。

朝、どちらに手を伸ばすか。深くは考えない。「今日はもっと元気を渡せそうだな」「今日はビシッとしたいな」。その日の自分が、着た瞬間の感覚で、勝手に選んでいる。

変化は、スタッフのあいだにも生まれていました。これを着てるんだから外で変なことするなよ、元年堂の代表なんだから、と互いに言い合う。ボタンを閉め忘れていれば、誰かが指摘する。みんな、その服を大事に着るようになった。

制服を着る、ということが、誇りを着る、ということに変わっていく。離職率は下がり、チームのプライドは上がった。展示を使いたいという企業からの声も、増えていったそうです。

ezuのユニフォームで働く元年堂のスタッフ

十割そばとezuが、同じ場所にある

そばと、服。元年堂という空間で出会うその組み合わせを、石川さんは「自然な馴染み方」と表現しました。原色で突き抜けるのではなく、いろいろな色が調和して飾られている。アパレルでありながら、場所を彩りつつ、その場に馴染むカラーとして、すごく合っていると感じていたと言います。

そして、もう少し考えてから、こう続けました。「私たちも日本の本物を伝えるというコンセプトできている。ezuさんも、その人に合った本物の洋服を届けている。ジャンルは違うけれど、コンセプトや想いの部分はすごく調和していたように思います」。

本物を、その人に届ける。食と衣で、同じ軸がたしかに重なっていました。

そばとezuが同居する元年堂の空間

お客さまが気づく、日本製だということ

ユニフォームを変えてから、お客さまの反応も変わりました。「それ何の服なの」「お揃いのユニフォームなの」と聞かれることが、黒いポロシャツの頃より数段増えたそうです。

とりわけ嬉しかったのは、「日本産でしょ、絶対」と言われること。日本人だけでなく、中国系も、マレー系も、見ただけで気づく。日本だってわかると思います、見るだけで、と石川さんは言います。

そして、スタッフが藍染めや素材のことを、自分の言葉で説明できるようになっていた。店長のルーベンさんも、料理長のプリシルさんも、ちゃんと説明ができていた。そう話す声には、少し誇らしげな色がにじんでいました。

ezuのユニフォームについて語る元年堂のスタッフ

2年間、変わらなかったもの

2年、着続けてきて、何が変わったか。石川さんがまず口にしたのは、「変わらなさ」でした。すごく丈夫だな、と。

毎日の長い営業。厨房への出入り。汚れる現場。それでも、大きく傷まない。色も、着心地も、最初とほとんど変わらない。着るとこの色に心が留まる。着るときによって、自分の気持ちも少し変わる。どちらも、いい意味で。

変わらない服の話のなかで、ひとつだけ、確かに変わったものがありました。ボタンです。最初は、このたくさん並んだ貝ボタンを留めるのに時間がかかるなと思っていた。けれど留めるごとに馴染んできて、愛着のあるボタンになってきた、と言います。

ezuの貝ボタンは、一粒ずつ、すべて違う。そのことに気づいたとき、服への愛着が、また一段深まったそうです。

服が変わらないこと。それ自体が、この服の質を、何より雄弁に語っているのかもしれません。

ezuのユニフォームの貝ボタン

日本の文化を、身にまとっている

マレーシアで、日本の手仕事から生まれた服を着て、十割そばの店に立つ。その感覚は、どんなものですか。そう訊ねました。

「日本の文化を身にまとっている感覚じゃないですかね。マレーシアではまず手に入らないものを着ていること自体が、なんか特別というか」。日本なら、桐生に行けば買える。けれどマレーシアでは、元年堂にしかない。その事実が、同じ一着に、別の重さを与えていました。

元年堂と同じ思いでいられる。日本の文化を発信し、身にまとっている。だからこそ他とは違う感覚が溢れているのだろう。言わずとも、主張せずとも。その一言が、いつまでも残りました。

ezuをまとい元年堂に立つ石川さん

これがezuらしさだと感じるもの

ezuらしさを、言葉にするとしたら。少し間を置いて、石川さんは答えました。「珍しさ。その日の気分を上げる」。

白の日も、藍の日も、朝の自分の状態に、引っぱられるように選んでいる。足りない日は白。締めたい日は藍。着た瞬間の感覚で、どっちが欲しいのかが決まる。

服で、その日の自分を少し整える。その使い方は、2年のあいだに、いつのまにか身についていました。

白いezuのユニフォームをまとう石川さん

まだ出会っていない人へ

最後に、まだezuに出会っていない人へ、伝えたいことを聴きました。

自分に足りないものなのか、ちょっと加えたいものを見つけに来てほしい。老若男女問わず、年齢問わず、何かを見つけられる。明るい色が欲しいのか、気分を引き締めて違うチャレンジをしたくなるのか。服を通して、小さな発見ができる場所になるのではないか。石川さんはそう話してくれました。

そして、ezuへ一言を、訊ねると、こんな応えが。「ezuさんらしく、たった一人の人を見つける服を、洋服だけに限らず、それぞれの人に届けていただけたら。特別なものを届けてくれたらなと思います」。

元年堂のスタッフたち

石川さんは、働く場でezuの服を着ています。けれどそれは、ただのユニフォームではありません。

日本の手仕事から生まれた一着を、海を越えた土地で、毎日まとって場に立つ。十割そばと同じ「本物を、その人に届ける」という軸のなかに、ezuはもう、自然に溶け込んでいます。

初めて袖を通した日の、あの照れ笑いと一体感。ボタンを留め合うようになった習慣。見ただけで「日本産でしょ」と気づくお客さまの声。そのどれもが、服がいつのまにか、その場所の文化の一部になっていることを、確かに教えてくれます。

「言わずとも、主張せずとも」。

ezuの服は、声を上げません。海を渡った先の空気になじみ、その場の人たちと時間を重ねながら、少しずつ、その場所そのものの色になってゆくのだと思います。

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