ezuの服は、デザインから始まりません。一枚の絵から始まります。
つくる人がいて、届ける人がいて、身につける人がいる。その流れのいちばん源で、絵を描き、色を染め、服をかたちにしてきた人がいます。
今回お話を聞いたのは、ezuのデザイナーでありアーティストであり、創業メンバーのひとりである岩野久美子。つくり手のひとりとして、その原点から聞きました。

食堂の座敷で始まった
岩野は、群馬県桐生市に生まれました。絹織物とともに1300年つづく、西の西陣、東の桐生と並び称された繊維の町。関ヶ原の戦いの折には、徳川家康のもとへ旗絹を献上したという伝承も残る町です。
実家は、その町で食堂を営んでいました。祖父母と両親、そして父の妹。家族で切り盛りする、メニューのたくさんある普通の食堂です。ラーメン、オムライス、カレーライス、天丼にソースカツ丼。お昼休みには近所の会社の人たちがどっと来て、会社が終わるとまたどっと来る。休みは週に1日だけ。家族は朝から晩まで料理をつくり、お客さんと喋っていました。
保育園に行きたがらなかった幼い岩野は、その店のお座敷が居場所でした。小さなちゃぶ台から見えていた景色を聞くと、返ってきたのは「よく働く家族」という一言でした。そのちゃぶ台の上でできる遊びが、遊びのすべてでした。
祖母は、海苔か何かの空き缶に、裏が白い折り込み広告や、ティッシュの空き箱、割り箸の袋といった、捨てられてしまうはずの材料を貯めておいてくれました。クミちゃんが使えそうなやつ、と。
チラシの裏に絵を描く。工作をする。折り紙をする。そのなかで、幼い岩野がいちばん夢中になったのが、人の絵を描き、服の絵を描いて、紙でつくった人形に自分の描いた服を着せる遊びでした。
3歳か、4歳のころ。紙でつくった洋服が、岩野の服づくりの起源です。

「好き」というより、当たり前
子どものころから絵を描くのが好きだったのですか、と聞くと、岩野は少し考えてから、こう答えました。
「絵が好きです、絵を描くことが好きですって、誰かに言ったことは、たぶん一度もないと思う。ただ、ずっと描いてる。当たり前にあるっていう感じ」
みんな、子どものころは絵を描きます。けれど、いつからか描かなくなっていく。岩野は、やめなかった人でした。
覚えているのは、5歳のころ。保育園で描いた絵を、まわりの子たちが欲しいと言ってくれて、同じ絵をクラス全員ぶん描いてあげたこと。人が、クマや羊やウサギや鳥になっている絵。顔は人のまま、体は動物という不思議な絵を、よく描いていたそうです。みんなが欲しいと言ってくれたことが、嬉しかったから、覚えているのだと思う、と岩野は言います。
卒園アルバムの将来の夢の欄には「えかきさんになりたい」と書いてありました。そのことを本人はすっかり忘れていて、40歳のころ、実家の片づけで母親が見つけて教えてくれたのだそうです。そのとき岩野はもう、絵を描き、服をつくることを仕事にしていました。

自分の着る服は、自分で
着るものへのこだわりは、幼いころから人一倍でした。小学校に上がるころには、自分で見て、自分で選んだ服しか着ない。だから買い物には必ず連れて行ってもらっていたそうです。
中学生になると、ちょうど古着が流行っていた時代。貯めたお年玉を握って、電車に乗って遠くの古着屋まで通いました。古着屋には、世界中の、いろいろな年代の服が集まっています。手触りで選び抜いて買った服の素材表示を見ると、コットン、リネン、ヘンプ。天然繊維ばかりだったそうです。ezuの素材選びの原点は、このころの手のひらにあります。
買ってきた服はそのまま着るのではなく、丈をハサミで切って短くしたり、長袖をノースリーブにしたり。自分の好きなかたちに直してから袖を通しました。
紙の着せ替え人形は、いつしか本物の布になっていました。手芸屋のフェルト、使われなくなったシーツやカーテン、古着。小学校の家庭科クラブでミシンを教わってからは、家にあったミシンで、自分の着たい服を自分でつくるようになります。
「自分が着たいと思う服がないから、自分でつくってる。それを、今でもやってるっていう感じ」
デザイナーになろうと思ったことも、ブランドをつくろうと思ったことも、一度もない。毎日の習慣としてやってきたことが、社会に受け入れられて、仕事として成り立っている。岩野は、ezuの成り立ちをそう捉えています。

欲しい色がないなら、つくる
服をつくる素材は、手のひらが選んだ天然のものに定まっていきました。着ていて気持ちがいい。素材の雰囲気が好き。綿や麻で、自分の服をつくるようになります。
ただ、当時の天然素材の布には、色がほとんどありませんでした。白、生成り、黒。あってもネイビーか、運がよければボルドー。色にこだわりの強い岩野が欲しい色は、どの布屋にもなかったそうです。
22歳のとき、手芸屋の床の隅で、ほこりをかぶった染料を見つけます。
「染めてみようかなって思ったの。白い麻の布と染料を買って帰って。やってみたら、超難しい。全然、綺麗に染まらない」
そこから、染色の研究が始まりました。当時はインターネットもなく、図書館に通い、染色をやっていそうな町の工場を訪ねては見せてもらい、どうしたら綺麗に染まるのか、出したい色が出るのかを独学で身につけていきました。
欲しいものが売り場にないなら、自分でつくる。以来、染め続けて24年。ezuの染め仕事は、ここから始まっています。

右上に、いつも見えている
一枚の絵は、どんな瞬間に生まれるのですか。そう聞くと、岩野は不思議な答えを返してくれました。
「今日、洗濯しようかな、っていう感じの瞬間に似ている。毎日24時間、空想してるから。いつもこの右上あたりにビジョンがあって、それを見て、ああ綺麗だなって思うの。今日この雲綺麗だなって思う瞬間があるでしょう。そういう感覚で、あ、描こうって思って描く」
描くテーマは決めていません。何かのために描いてもいない。強いて言えば、生きていることに似ている、と岩野は言います。
服も同じだそうです。右上にいつもいろいろな服があって、これかわいい、着たいな、と思ったものを服にする。想像より良かった作品はあるかと聞くと、即答でした。
「ない。想像のものをつくろうとしてるから、その通りのものができる。イメージを、そのままかたちにしているから」

色は、表せないものを表すもの
色を選ぶときに大切にしていることを聞くと、直感、という答えが返ってきます。影響を受けるのは自然から。山を歩いているときも、寝ているときも、起きているときも、全部。
では、色は何を表しているのでしょうか。岩野は長く考えてから、こう言いました。
「表せないものを表しているのが、色。言語化できない、物質化できない、触ったり見たり数値化したりできないエネルギーのようなものを、色で表現してる」
そして、色を形にしているのが服だね、と続けます。
ezuの服には、一般的にはなかなか見ないような色まであります。たとえば「ソメイロくつした」。これまでに染めてきた1万色を超える色のなかから15色を選び抜いて、コレクションとして設計した靴下です。
15色でも十分に多いはずですが、岩野にとっては、これでも厳選なのだそうです。
「本当は、1000個つくるなら1000色にしたいし、1万個つくるなら1万色にしたい。ひとつひとつ、違うエネルギーのものをつくっているから」

絵が、服になっていく
絵を売りはじめたのは、5年ほど前のこと。それも、自分からではありませんでした。服づくりの合間に描いた絵を見たお客さまから、この絵は売っているんですか、誰が描いたんですか、と声をかけられるようになり、アトリエショップの壁に貼って売ってみたのが始まりです。
すると今度は、この絵が布になってワンピースになっていたら欲しい、と言ってくれる人が現れました。絵がテキスタイルになり、服になっていく。ezuのいまのかたちは、こうしてお客さまとのやりとりの中から生まれています。
布にしたら可愛いだろうな。そう思いながら初めて描いたのは、青い絵だったそうです。その原画は買われていき、いまは手もとにありません。庭を描いたテキスタイル「garden」も、描いている途中で、これは布にしたら可愛いだろうなと方向を変えて生まれた柄です。
その絵が布になったとき、どんな手応えがありましたか。そう聞くと、答えはやっぱり、想定内、でした。
「だって、イメージはもう、見えているから」


服は、景色をつくる
絵がキャンバスではなく服になることで、変わることはあるのでしょうか。
「服になると、景色をつくるよね。絵は家の中に飾られていると、そこの景色にしかならないけど、服になった途端、人が着て、移動して、生活するから。日常の景色の一部になる。絵から日常の景色という新しい絵が生まれていくっていうのは、私の中では結構楽しいことの一つ」
岩野は、こんな問いかけをしてくれました。10歳のころの思い出を、ぱっと思い出してみてください。家族での食卓でも、旅行でもいい。そのとき、思い出の中の人は、みんな服を着ているでしょう、と。
「記憶って、服を着た状態で呼び起こされるわけよ。顔しか思い出せなかったとしても、必ず服を着てるんだよね。あの人の記憶の中の情景に映るものをつくってるんだなっていうのは、面白いことだよね」
ezuの服はよく「記憶の器」と呼ばれます。けれどそれは、最初から器をつくるぞと思ってつくってきたわけではなく、長く制作を続けてきた中で気づいた言葉なのだそうです。では、何をつくっているのか。服とも、作品とも思わない。形のあるものをつくりながら、形のないものをつくっている。とてつもなくざっくり言えば、エネルギーのようなもの、と岩野は言います。
「そのエネルギーは、ポジティブなものであってほしい。困ったときは寄り添ってほしいな、頑張りたいときはこの服が応援してほしいな、祈りが必要なときは祈ってほしいなって思う感覚」

みかん色のワンピース
忘れられないお客さまの話を、いくつか聞かせてもらいました。
ある日、娘さんが保育園で「お母さんの絵」を描いてきた、というお客さまがいました。絵の中のお母さんが着ていたのは、ezuの服だったそうです。
10年来のお客さまの話もあります。いつもは自分の服を選ぶその方が、その日は「母に似合いそうな服を」と、庭で育てた夏みかんをふたつ手土産に、みかん色のワンピースを選んで帰られました。2年ほど経って久しぶりに来店されたとき、お母さまが亡くなっていたことを知ります。最後のひと月の入院のあいだ、病室の窓辺にはあのみかん色のワンピースが掛けられていて、これを見るととても明るい気持ちになるから、と過ごされていたそうです。そして旅立ちの日、そのワンピースを着せて、送り出されたのだと。
「私は、そういうものをつくってるんだなって、改めて責任感を持った。誰かの最後の一着になるかもしれないものをつくってるし、誰かの忘れない景色の中に入る一着をつくってる。それはいつも思いながらつくってるよね」

もうひとつ。妊娠8ヶ月の大きなお腹で、臨月になっても着られそうだからと、藍染めの青いワンピースを選んでいかれたご夫婦がいました。それから15年。あのときお腹にいた子が、その藍染めのワンピースを着て、お母さんと一緒に店に来てくれたそうです。
だからezuは、息の長いものをつくろうとしています。丈夫な素材で、良い縫製で、良い染料で。そして、着心地。着て気持ちのいい服は、自然と登場回数が増えていくからです。

人がつくる意味
AIや機械がなんでもつくれるようになっていく時代に、それでも人がつくる意味はどこにあると思うか。そう聞くと、岩野の答えは迷いがありませんでした。
「コミュニケーションじゃないかな。つくるっていうことによって、コミュニケーションが生まれるから。一緒につくる人たち、地域、お客さん。全部AIがやるようになったら、便利でスピーディーになるかもしれないけど、失われちゃうのはそこだと思う。染めている村上さんの人生とか、縫っている津久井さんの人生、裁断しているお父さんの人生、つくっている私の人生とか。人間が人間として存在したことみたいなのが、失われちゃうから」
人がつくらない服を否定しているわけではない、とも言います。ただ、人の手が携わらなくなると、景色がガラッと変わってしまう。
手仕事だからこそ残したいものを聞くと、人の手が持つ力の可能性、という答えでした。残したい、というより。
「それを、やってたいって思うんだろうな」

どうにもならないこともある
岩野は絵の個展も開いています。それも、自分から「絵を見てください」と思ったことは一度もなく、絵だけをゆっくり観る時間がほしい、というお客さまの声から始まったものでした。
ある個展には「どうにもならないこともある」という言葉が添えられていました。その心を聞きました。
「自分に起きたことなら、頑張ったり、心で折り合いをつけたり、自分でどうにかできるの。だけど、自分以外の大切な人に何かがあったとき、私はどうにもできない。その人のことを、その人じゃないから。そういうのを思い知ったから」
みんな、そういうものと向き合いながら生きている。だからせめて、と岩野は続けます。
「私の絵を見たからってどうにかなるわけじゃないんだよ。ただ、その絵を眺めてる時間ぐらいは、穏やかであってほしいなっていう個展だったんだけど」

旅と、距離
最近いちばん心が動いた景色を聞くと、迷わずモンゴルの星空でした。
「あれは宇宙だったね。星がすごすぎて、曇ってると思っちゃったぐらい白かった。宇宙の中の地球の大地に立ってるんだなっていう感覚を、本当に体感したって感じ。感動しました」
創作につながる習慣を聞くと、旅、という答えが返ってきました。知らない道を歩き、知らないものを食べ、新しい人と出会う。そのインプットと同じくらい大切にしているのが、距離を取ることだそうです。
「ずっとアトリエで制作と向き合ってると、自分の価値観とか主観が尖ってきちゃうんだよね。物理的に遠いところに行くと、離れてるよって脳が認識しやすい。自分と、自分のつくったものを、少し客観的に見られる。それが面白いから」

これからも、変わらずに
これから挑戦してみたいことを聞くと、岩野は少し考えて、もうやってる、と笑いました。
「やりたいことを思い描いて、そこに向かってきたことってなくて。常にやりたいことがあるから、探す必要がないぐらい、私の中にやりたいことしかない」
パリでのコレクションに参加したときも、そうだったといいます。
「あれも、出たいと思ってたわけじゃないんだよね。出ませんかって言われて、面白そうって思ったから出た。全部それだよ。ピンと来たから、やる」
いま思い描いていることを聞くと、楽しそうに言葉が続きました。花束を贈るように焼き菓子を贈る、絵を描いたクッキー缶。沖縄につくっている場所の、空間と家具。建築の中に絵を描くこと。シャンプーや石鹸。そして、モンゴルで始まっている新しいものづくり。
「服にするのか、お菓子にするのか、家具にするのかっていうだけで、全部同じだよね。思いつくものを、全部かたちにしたい」
10年後のezuはどんな存在でいてほしいか、という問いへの答えも、まっすぐでした。
「変わらず、いろんなものをつくっていきたいね。つくりたいなって浮かんでくるものを、かたちにしていきたい。変わらずに」

最後に、まだezuを知らない人へひとこと、とお願いすると、返ってきたのは短い言葉でした。
「はじめまして」
いま関わってくれているお客さまへは「ありがとう」。ともにつくる職人さんたち、届け手のみなさんへは「出会えてよかった」。それ以上の言葉は、いりませんでした。
おわりに
インタビューのあいだ、岩野は何度も「改めて聞かれると難しいね」と笑いました。目的も、テーマも、計画もない。ただ、右上に見えているものを、今日もかたちにする。それは、食堂の座敷で紙の人形に服を着せていた3歳のころから、ひとつも変わっていません。1300年つづく繊維の町に生まれた子は、いまも同じ桐生の町で、絵を描き、服をつくっています。
絵を描くことと、服をつくることは、同じですか。最後にそう聞いたとき、岩野の答えはこうでした。
「同じだね。生きてること」
絵を描くことも、服をつくることも、生きていること。ezuの服を手に取るとき、その源には、こんなつくり手がいます。
そして、ezuを着る人にどんな時間を過ごしてほしいかという問いに、岩野は「その人が過ごしたい時間」とだけ答えました。あなたの時間を過ごしてください。それが、この作り手からの、たったひとつのお願いです。
