はじまりは、一枚の布でした。
ある骨董屋で、ezuのデザイナー、岩野久美子は、すごく手触りのいい布に出会います。店主に聞くと、古い時代のラオスの織物だと教えてくれました。ラオスは、こんな布を織る国なのか。2014年8月、岩野はラオスに向かいました。それから10回ほど通うことになる、最初の旅です。
当てもなく、村へ
行き先の当てが、あったわけではありません。当時はいまほどインターネットが便利な時代ではなく、図書館で調べると、ラオスには蚕や綿花を育て、手で紡いだ糸を手で織って布にしている少数民族の人たちがいることがわかりました。その人たちに、会いに行こう。コネクションもないまま、岩野はラオスへ発ちました。
最初に訪れたのは、ラオス北部の古都、ルアンパバーン。世界遺産に登録された、日本でいえば京都のような町です。「布を探しています」と現地の人たちに聞いてまわり、地図を描いてもらい、トゥクトゥクの運転手に道を教えてもらいながら、メコン川を船で渡って、北の村へ。村までの道のりは、ずいぶん遠いものでした。

たどり着いた村の正確な名前は、じつはもう思い出せません。それでも、そこで過ごした時間のことは、10年以上経ったいまも、はっきりと残っています。

桑の葉から、糸になるまで
その村は、蚕を飼って絹の糸をつくる、養蚕の村でした。岩野は10日ほど、ファームステイというかたちで村に滞在させてもらい、村の人たちと一緒に働きました。
見渡す限りの桑畑で、蚕が食べる桑の葉を摘む。摘んだ葉を、蚕にやる。蚕が繭をつくったら、繭を煮て糸口をたぐり、糸車で糸をよる。一枚の桑の葉が白い生糸になるまでの手仕事を、村の暮らしのなかで手伝いました。




繭を煮て、糸口をたぐる。細い糸が、鍋のなかの繭からのぼってくる。

藍も、おなじ村で
おなじ村には、藍染めの工房もありました。桑畑と同じくらいの広さで藍の葉を育て、その葉から藍をつくり、薪の灰を使って藍を建てる。出来上がった絹の糸を藍で染める仕事も、手伝わせてもらいました。

藍甕のなか。葉から藍をつくり、薪の灰で建てる。

木の織り機
染め上がった糸は、木でできた手づくりの織り機で、布になります。ヨーロッパの王室に織物を納めたことがあると、村の人は話してくれました。それも頷ける、美しい絹の織物です。


水が流れるように
この村で岩野が心を動かされたのは、布そのものだけではありません。村では、すべてが循環していて、無駄が出ないのです。
放牧している牛の糞は、桑畑の肥料になる。その桑の葉を、蚕が食べる。桑の実はジャムになる。藍を建てるのに使う薪の灰は、石鹸の材料にもなる。染色のために火を起こした薪は、残り火で、村で育てた野菜や、飼っている鶏の卵を調理する。みんなで仕事をして、みんなで食事をする。
「村の人たちが暮らす生活のなかで、本当に水が流れるように、手仕事が循環していました。食事を作ったり、水を飲んだりするのと同じ感覚で、暮らしのなかに手仕事がある。その生き方そのものが、すごく好きだなと思ったんです。私もこういうふうに制作しながら暮らしていきたいと、改めて思う滞在になりました」


ラオスのストール
その後、10回ほどラオスに通うなかで、村の人たちに、手で紡いだ綿や麻の糸で織った布で、ストールを織ってもらうようになりました。織り上がったストールを桐生で手染めして、ひとつの作品として届ける。ezuの前身、RIPPLE YōHINTENの時代から、コロナ禍の前までつづけていた活動です。
コロナ禍で、村を訪ねることはできなくなりました。けれど、あの村でしか織れない布があります。また近いうちに村を訪ねて、ラオスの人たちとのものづくりを再開できたらと考えています。

10年経って、思い出す風景
ラオスでの経験は、いまのezuにつながっています。モンゴルでカシミヤの工場と提携したのも、ネパールで編み物や金工の工房と作品をつくっているのも、フィリピンのカオハガン島でキルトを受け取ったのも、たどっていくと、あの村に行き着きます。
「私が惹かれるのは、その場所で取れるものや、その土地に根付いた手仕事です。その土地で100年、もしかしたら1000年と、人々の生活と文明のなかで育まれてきた知恵や工夫から生まれるものは、とってつけたようには作れない。だから、すごく魅力的なんです」
岩野が生まれ育った桐生も、絹織物とともに1300年つづくといわれる繊維の町です。「いろんな国で、縁があって出会う人たちと作っていきたい。その思いは、初めてラオスを訪ねた頃から変わっていないんだと、改めて思います」
10年以上経ったいま、ラオスを思い出すとき、最初に浮かぶのはあの村の風景です。桑畑のあいだの道を、かごを背負って歩いていく。その先で、糸が生まれるのを待っている。

記事執筆:ezu編集部
監修:岩野久美子(ezu designer)