ezuは、2024年3月まで、リップル洋品店(RIPPLE YōHINTEN)という名前でした。2009年に群馬県桐生市で生まれ、15年のあいだ、その名前で衣服をつくってきました。株式会社ezuとして法人化するのにあわせて、名前を「ezu」に変えました。
いまも「リップル洋品店」で検索して、このサイトにたどり着いてくださる方がいます。あの店はどうなったのか。誰がつくっているのか。まだ買えるのか。この記事は、その問いへの答えです。名前を変えるまでの15年と、変えた理由と、変わらなかったものについて書きました。
2009年、一着の水色のワンピースから
始まりは、桐生の近所にあるオーガニックカフェでした。デザイナーの岩野久美子は、自分で仕立てた服を着て、子どもを連れてそのカフェに通っていました。ある日、店のオーナーに「それ、どこのブランド?」と声をかけられます。自分でつくった、と答えると、カフェに併設されたセレクトショップに「置いてみない?」と誘われました。
最初に持って行ったのは、グレーがかった水色に染めたリネンのワンピース。夏のフレンチスリーブで、花の手刺繍が入っていました。その一着は、持って行ったその日に売れ、すぐに電話がかかってきました。
「本当に、自分でつくったものって売れるんだ、って。それで、屋号を考えなきゃ、開業届を出さなきゃ、というところから始まりました」
屋号は、「リップル」にしました。葉から落ちた一粒の雫が水面に落ちて、弧を描いて、どこまでも広がっていく。リップルは、そんな波紋のことです。
「響き渡る、という意味です。ひとつの手仕事から生まれるものが、ゆっくり広がっていったらいいな、という希望を込めてつけました」
「洋品店」は、あとから足した言葉です。はじめの10年ほどは「リップル」とだけ名乗っていました。けれど、リップルって何屋さん?と聞かれることが多く、お客さまにわかりやすいようにと「洋品店」を添えて、リップル洋品店になりました。
自宅の敷地にあった物置き小屋を、手作業で改装しました。布を染めて、切って、縫って、つくる。リップル洋品店は、そこから始まりました。
毎月7日間だけ、ひらく店
翌2010年から、野外のクラフトフェアやオーガニックマルシェに出店するようになりました。2013年には桐生市内に、毎週火曜日だけひらく実店舗を構えます。2016年からは、毎月1日から7日までの7日間だけひらくかたちに変えました。この7日間のリズムは、いまのezuのアトリエショップにそのまま引き継がれています。
広がりは、すべて人づてでした。マルシェで出会った人がクラフトフェアを教えてくれ、そこで会ったギャラリーやバイヤーが個展や百貨店につないでくれる。2018年に香港、2019年にバンクーバーとニューヨーク、2020年にはパリのコレクションショーで発表するまでになりましたが、岩野はこう振り返ります。
「自分で営業をかけたり、宣伝みたいなことをしたことは、一度もなくて。ずっと群馬の桐生でつくっているだけ。つくったものが勝手に人を呼んできてくれるし、人に伝わっている。それをすごく実感しているからこそ、丁寧に、大事に。この一着がどこに届くかわからないし、そんな気持ちでやっています」
2021年には、編集者からの声かけで、リップル洋品店の仕事と暮らしをまとめた書籍『ひとつずつの色 ひとつずつの形 ひとつずつの生き方』が出版されました。ひとつずつ違う色、ひとつずつ違う形。書名になったこの言葉は、いまもezuの服づくりの芯にあります。
名前を変えた理由
2024年3月、株式会社ezuとして法人化するタイミングで、名前を「ezu」に変えました。お客さまからいちばん多く聞かれたのは、「なんで名前を変えるの?」という質問でした。
理由のひとつは、海外との取引が増えたことです。「洋品店」という日本独自のニュアンスは、日本の外では伝わりません。発音もむずかしく、Hを発音しない言語では「ルップル」になってしまう。ずっと個人事業でやってきたものを株式会社にする機会に、もう少し短く、シンプルで、伝わりやすい名前にしたいと考えました。
もうひとつは、岩野のなかでの、制作に対する意識の変化でした。
「ずっと洋服をつくってきたところに、その根底にある、絵を描くという仕事も増えてきた。リップル洋品店というと、やっぱり洋服をつくっているお店。それは自分がやってきたことだから、否定するわけじゃないんだけど、洋服以外の表現や活動も増えてきたので。じゃあ、そもそも服はどうやって生まれたの?と考えると、私はやっぱり、絵を描くところが源流にあるから」
ezuは「絵図」、絵で描いた地図のことです。15年のあいだに着る人から何度ももらった「わたしらしくいられる服」という言葉から、一人ひとりの絵図となれるような服を、という願いを込めました。「絵」という文字の由来については、岩野本人が書いた随筆「絵という文字」に掲載しております。
名前を変えても、変わらなかったもの
変わったのは名前と、会社のかたちです。服をつくる手は、変わっていません。
裁断は、リップル洋品店の頃から20年近く、岩野の父でもある新井さんが担っています。会社勤めをしながら土日に手伝うようになり、その流れのまま、いまも続いています。ぬい手の津久井さんは、陶器屋で見かけたリップル洋品店のパンフレットがきっかけで岩野とつながり、定年後に本格的に加わりました。ezuの主力の縫い手は60代から70代、縫製歴40年という方たちです。桐生は、5キロ圏内で生活も制作もできる町です。みんなでつくっている。その感覚は、名前が変わる前からずっと同じです。
服にネームがつくようになったのは、この改名のときからです。リップル洋品店の15年間、服にネームはついていませんでした。買ってくれた人のものだから、という岩野の考えによるものです。それを変えたのは、リップルで買った印が欲しい、というお客さまの声でした。その経緯は、織りネームのはなしに書いています。
お客さまのなかにも、名前をつないでくださった方がいます。前身と同じ「リプル」という名前の美容室を営むミサエさんは、お客さまから「同じ名前のお店があるよ」と聞いたことがきっかけで、リップル洋品店の服を着るようになりました。名前がezuに変わったとき、「どうにかこの名前とつながっていきたい」と、新しく迎えた愛犬に「エズくん」と名づけてくださいました。ミサエさんのインタビューは、こちらに掲載しております。
リップル洋品店を、覚えていてくださる方へ
店は、続いています。群馬県桐生市の山あいにあるアトリエショップは、これまでと同じく、毎月1日から7日までの7日間ひらいています。服をつくる人も、色をつくる考え方も、同じままです。
あの頃の服を、いまも着てくださっている方へ。名前は変わりましたが、その一着はezuの服です。
ezuのあゆみは、ブランドヒストリーのページにまとめています。桐生以外でお求めいただける場所は、取扱店の一覧に掲載しております。